神々は曲線でもって直線を引く(回り道が近道)

2020年9月20日

神々は曲線でもって直線を引く ~ 回り道が近道である真実

 上述の素晴らしい言葉を実感せざるを得なかった出来事が自分を襲い、そして救ってくれたのだった。

 そして、義侠心と行動力に欠けているのでは無いか、闘う男として存在していないのでは無いかと、密かに深く反省させられた出来事を綴ってみよう。

2020年5月16日師匠は帰らぬ人となりました。(2020.5.31追記)
大川師匠逝去に想う「陽は昇り黙っていても朝は来る」

かつての上司である師匠が倒れる

 三井生命時代に師匠として崇めたてていたO氏が倒れたのが平成22年5月16日(日)の夕方だった。前日は一緒にゴルフをして、そのまま宿泊、そしていつも通りに大酒を煽って眠りについたのだった。

 朝10時頃別れたときはそんなに異常を感じなかった。
 しかし夕方、あまりのゴルフのスコアの悪さに腹が立ち、練習場に向かったらしい。
 そして帰宅して倒れたとのことだった。

 なんということだ!
 自分の胸には言いようの無い悔恨の念が責め立てた。

 前の晩にあんなに馬鹿呑みして大騒ぎしていなければ・・

O氏の元気な姿にほっとする

 早くお見舞いに行かなくては、と逸る気持ちを抑えるように集中治療室での治療が続いていたらしい。気になりながらお見舞いに行かず失礼をしていた。

 ようやく面会が可能になったようだとの報に接し、お見舞いに向かうと、そこには半身が不便だが、相も変わらずに口達者なO氏がいた。

 元気な様子にほっとした。本当に良かった。
 小1時間話を聞いて別れ、2年後のリベンジ・ゴルフを誓い合ったのだった。

芍薬の花を栽培する社長と病室が同室に

 そしてまもなく顔を出さなくてはな、と考えていた矢先、8月31日(火)の朝早くに携帯が鳴った。着信を確認するとO氏だ。

 『お前、いつになったら顔を出すんだよ!』
 と怒られるのかなと、恐る恐る電話に出ると、大きな声が響き渡った。

 『おい、同じ病室に芍薬の花を栽培する立派な社長がいて、その様子がちょっと気の毒だから助けたい。ついては菅野も早く顔を出すように』

 あまりにはっきりした物言いで、検討の余地すらなかったので、『了解しました』
 と回答したわけだが、続けて、

 『明日お前に引き合わせたい人が来るので来れるか?』

スケジュールの調整にてんやわんや・・

 今日の明日か、ちょっとスケジュールのやりとりは大変だけど仕方が無いなと思い、スケジュール調整をした。

 そしたらその同じ日の午後2時頃だったと思うが、また携帯電話が鳴った。

 『念のために言っておくけど、引き合わせたい人が来るのは明後日の9月2日だからな。間違えないように!』
 ときたもんだ。

 なんか事情があって1日ずれたのだろうが、以前の通りの物言いに思わず苦笑いしながら、
 『分かりましたよ。2日の木曜日ですね』ということで穏やかに電話を切ってからが修羅場だった。

 せっかく調整したスケジュールを再度調整する必要が出てきたからだ。
 まあ、せっかく頼ってきてくれたわけだし、何とかしようと結局調整が済んだ。

 そして9月2日、予定通りにお伺いした。とても暑い日だった。

芍薬の花 10万本流通に向けて

 つくば研究支援センターでのセミナー開催の打合せで時間を取りたかったが、用件最小限のみでO氏のところへ向かったのだった。病院をリハビリ病院に移していたO氏は身体が不自由そうだったが、気力に溢れ元気そうだった。

 そして当の芍薬栽培の経営者を紹介され、また引き合わせしたいとの人も紹介され、勢いの良い言葉が並んだ。

 『芍薬の花を10万本流通させないとな!』
 『全国中央会連合会にも話が通じたので一気にいけるぞ!』

 相変わらずの力強さだ。

 『菅野、知恵を搾り出せよ!』
 思わず、『はい喜んで』と勢いの良い返事をしている自分がいた。

 引き合わせたい方というのは、前職の常務取締役をしていた方で、面識は無かったがやはり当時のことで少し盛り上がることができた。

 その日は1時間弱お邪魔して帰路に向かった。

芍薬の花畑現地視察へ

 教訓となった出来事が起きたのは、9月11日(土)だった。
 今週になってから朝一番O氏からの電話が毎日のように携帯に入り、なんか凄い勢いなのだ。

 そして今度の土曜日に芍薬の花の現場を見に行くということだった。

 自分は『雇用保険コンサルティング事業』のアポがあり、終わってから向かう旨を伝えていたが、いつものように『14時半頃に来てくれよ』と、こちらの予定はあまり眼中に無いようだった。

 従って自分は、やはり時間のやりくりに四苦八苦しながら調整したのだった。

 そして『雇用保険コンサルティング事業』の相談に入っている時に携帯が鳴り、当然出れないので後から留守電を確認すると、

 『会社の若い人間たちが病院に来ているので14時半は厳しい。よって15時にしよう』ということだった。

 自分もかなり自分勝手で有名であるが、逆の立場でこれほど翻弄されることは稀なのだ。
 自分の立ち居振る舞いを逆の視点から学ばせてくれているのだろう。

 仕方なく15時に到着するようにO氏宅に向かった。

現地で見た光景は・・

 奥さんの運転という状況でO氏が現れた。そして『よし行こう! こちらの車で一緒に行こう』ということになり、車1台で現地に向かった。道中、様々な話をしながら向かったわけだが、勢いのある2人の話のなかで奥さんが柔らかい物腰で相槌を打つように静かに笑っていたのが印象的だった。

 細かい描写をするとあまりに長くなるので、端的に話を進めると、向かった現地は荒れ放題の畑だった。

 病室で一緒だったというS氏のお宅に行き、それから1台の車で現地にみんなで向かったのだ。

西日に照らされた姿があまりに寂しそう

 『菅野、芍薬の花とハウスはどこにあるんだ?』

 こちらが聞きたいよ、と内心思いながら、『分かりません・・』と回答すると、案内してくれたS氏が、『これです』と腐りかけた鉢を見せてくれ、愕然とした自分とO氏が佇んだ。

 O氏曰く、『西日に照らされたお前の姿があまりに寂しそうだったよ』ということだが、自分も答えた。

 『熨斗とリボンを付けてそのままお返ししますよ・・』

 奥さんが照れ笑いをしていたのが忘れられない。

 動きの早いO氏は、『全国中央会にこの状態を紹介したら、頭がおかしいと疑われるよSさん』というわけで、ご本人にはっきりと伝えるO氏と、伝え聞いてがっくりするS氏、いつもなら人一倍うるさいと言われる自分も思わず静かに微笑を続けるしか無かった。

それでも動くO氏には本当に敬服

 それでも終わらないO氏を本当に敬服する。

 『Sさんはもう高齢だから、これからの話ができる息子に会いたい』ということで、息子さんのところに向かったのだ。

 息子さんのところに急遽向かい、息子さんもあまり嬉しそうではなかったが、状況を良く聞くことが出来た。

 そして、『これでは話が進まないですね。』と丁重に話を終わらせ、帰りの車中で、『これで中央会につないだら、俺の頭がおかしくなったと思われるな』とまじめに言ってきたので、

 『大丈夫ですよ。恐らく元々おかしいと思われていますから・・』と返した。

 そしたら、『西日に照らされたお前の姿があまりに寂しそうだったよ』と繰り返され、

 『そうでしたか。熨斗とリボンを付けてそのままお返ししますよ・・』とオウムのようなやりとりが続いたのだった。

帰りの車中での会話からの深い気付き

 『菅野には借りができたな』
 ときたので、『これで何回目になりますかね』と言うと、『初めてだろ?』と真面目に返すO氏を久々に心底から敬服した。

 そして、せっかくだから晩飯でも食っていけということになり、甘えて夕飯を呼ばれて帰った。奥さんとお嬢さんの手製の晩御飯で、たいそう美味しかった。ごちそうさまでした。

 その帰路における車中の会話で、自分は久々にハンマーで頭をたたかれたかの如く衝撃を受けたのだった。

 『人生は思い出作りだからな。神々は曲線でもって直線を引くと言うんだよ』

 なんと懐かしい響きだったろう。26歳くらいの時にO氏より同じフレーズを聞かされていた。

 そうか、回り道こそが近道ということか、と悟った自分は、なんとも言えない気分に想いを馳せたのだった。

17~18年前にタイムスリップ

 25歳から26歳まで直接仕え、その後もことあるごとに魂の触れ合いをしてきたO氏だったが、時に殴られ、噛み付かれ、そしてあまりに有名な事件、『釣りは遊びじゃないんだぞ!』と大喝をされたO氏なのだが、こういう深みのある言葉を浴びせてくれるから自分にとっては師匠なのだ。

 当時、『自分の進みたい道と全然違いますよ。まるで南に行きたいのに北に進んでいるようです。』と噛み付いた時に、

 『北をそのままとことん進めば南になるんだよ!』と怒られたのを思い出す。
 『リーダーは一番つらくなくてはダメなんだ!』と怒られたこともいい思い出だ。

 指導の中で、早朝に冷水をかぶってからスタートということがあり、自分もやりますとか言いながら、三日坊主で終わったのを未だに白状していない。

この騒動が起きた本当の理由

 最近の自分は、なかなか思い通りに進まないことにイライラすることが多かったが、回り道が近道である真実、それを『神々は曲線でもって直線を引く』という見事な表現で教えてくださったO氏に、爽やかな気付きを覚えたのだった。

 そうか、これを教えてくれるために今回の騒動があったのか、と思うと妙に深く納得した自分だった。

 『神々は曲線でもって直線を引く』

 この精神は自分の肝に銘じなければと痛感した。

 加えて感じたのが、困った人を目の前にして黙っておかない義侠心と行動力、そして病室でも闘い続けているあの気力。

 果たして今の自分はああした義侠心と行動力に欠けているのでは無いか、闘う男として存在していないのでは無いかと、密かに深く反省させられた。

日本の問題点の縮図を見たような気がした

 そしてもうひとつ、あの荒れた農地、後継者のいない農業の世界の苦悩、なんか日本の問題点の縮図を見たような気がして、どうにもやるせない印象的な風景だった。

 芍薬の花については以下のリンク先を参照していただきたい。

芍薬 (しゃくやく)

季節の花 300 より)

 それにしても、久々の騒動だった。

 『菅野には借りができたな。返さなくてはな。』と仰っていただいたお心に免じ、しっかりと文字に残しておこうと考えた次第だ。

 ふっ、これで今回のドタバタは終わりだが、まだまだ旅は終わらない。