親父の一周忌を終えて
2009年2月14日(土)に、近親の方だけにお集まりいただき、しめやかに親父の一周忌を終えた。
親父が息を引き取ったのは、昨年(2008年)の2月17日、午後4時52分頃だった。
享年68才、満で67歳。
決して長生きの部類では無かったが、良く生き抜いたと思う。
寝たきりが7年ほど続き、お袋には苦労をかけた。
通常の健康な方の状態に比すれば、恐らく80歳とも90歳ともとれるのではないかと、肉親の間では話している。
どうも少年時代は、神童と呼ばれるほど、勉強も運動も達者だったらしい。
しかし、ずっと病魔との闘いだった。
特に終盤になる、最後の7年間は寝たきりの状態であり、通常では生きていることが不思議だったのではなかろうか。
寝たきりといっても、身体が自由にならないだけで、意識ははっきりしていた。
その間、ずっと人工透析も続けており、かなりつらかったのだろうと察する。
絶望を感じるような、病室においても生きる力を失わず、いったい何が親父を生かさせたのか?
今となれば、想像でしかありえないが、いろんなことが頭を過ぎる。
この最後の生き様こそ、親父を最も尊敬させる期間だった。
人は生きる希望を持てばこそ、生きていられるのだと思うが、どうした希望を持っていたのだろうか?
最期に息を引き取るまで、何度も、
「もうダメだ」
「今度こそやばい」
そんなことが、あったわけだ。
それでも生き抜いた親父、何がそうさせたのか、あくまでも想像だが、
この世で生きる希望を失ってしまった人たちに対して、
「頑張れ!」
「あきらめるな!」
「負けるな!」
というメッセージを、自らの身体を通して発していたような気がしてならない。
果たして、親父が本当にそう希求していたかは、もはや想像の域を出ないわけだが、自分はその意志を、自分の生き様に繋げていきたいと考える。
また寝たきりの親父が支えられたのは、ほかならぬ社会保障制度によってだ。
あの経済的負担が、もろ自分たちにかかっていたら、決して支えきれなかっただろう。
そうした意味では、世の中に対する感謝も大いに忘れてはいけないことである。
そして社会保障制度が綻んでしまっている現代にあって、負担と受益の全体バランスを考慮した、運営の持続可能な社会保障制度というものを、しっかりと構築し、後世にまで残さなくてはいけないわけだ。
勉強をしっかりして、恩返ししなくてはと思う次第だ。
折しも、大不況が連呼される世の中になってしまった。
社会的弱者にかなりのしわ寄せが来て、生存権までもが脅かされている。
それに対して、微力ではあるが、自分の力を全力で向けていかねばならないと、意気を新たにした親父の一周忌だった。
おふくろも、親父の死後、約2年半を経過して亡くなってしまった。おふくろについては以下で述べてみた。
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