伝説のコーチ高畠氏の生涯「甲子園への遺言」を読んで

2020年6月2日

 NHK総合で「フルスイング」と改題しドラマ化もされた話題の1冊です。

 昨年の年末である08年12月23日~25日までアンコール放送されていました。
 ドラマをご覧になった方も多かったのではないでしょうか。

 本書「甲子園への遺言」は、伝説の打撃コーチ高畠導宏氏の生涯を綴ったものです。

 高畠氏の人生はまさに「フルスイング」という言葉がぴったりとくる熱き人生でした。
 35年間プロ野球界で、選手、コーチとして過ごし、何と、59歳にして高校教師になり、そして夢であった甲子園を目指したわけです。

「甲子園への遺言」 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯 著者:門田隆将氏、発行:講談社文庫

 平成16年6月30日、60歳で惜しまれながら人生の幕を閉じられました。

 プロ野球界では、日本球界を代表する一流の選手を育て、そして、どこのチームからも引っ張られる実力派でした。

 60才を目の前にし、教員免許を通信で取り、教壇に立ちます。
 高畠氏が生きたどの時代も、文字通り「フルスイング」で全力疾走されている様子が描かれています。

 自分が読んだ本は、文庫本化されたもので、

「甲子園への遺言」 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯
 著者は門田隆将氏、発行が講談社文庫です。

 この本を書店で見つけた瞬間に買ってしまいました。

 文庫本になる前に、すでにハードカバーとして販売されていたのですが、販売の事実を恥ずかしながら知りませんでした。

涙なくして読めない名著

 冒頭から、涙にむせてしまいました。

 本文を引用させていただきます。

「導宏っ(みちひろ)、
 お前はなあ、兄ちゃんの誇りじゃ。
 よう頑張ったなあ。お前は頑張りすぎたんじゃ。
 いっつもいっつも、一生懸命やってなあ。
 もうえい。もうえいそ、導宏。
 ゆっくり休めよ。
 お前は、ほんまに兄ちゃんの誇りじゃあ……」

 そこから涙なくして読むことができず、ずっと涙にむせて読んでしまいました。

高畠氏の一生を通して語られる人生哲学の書

 この本は、野球を知らない人、いや、老若男女すべての人が、引き込まれると思います。

 豊かな才能を大いに期待されたアマチュア時代から始まり、才能の開花を誰もが疑わなかったのに、あまりにも早く突然に訪れたケガによる挫折。

 そこで腐らず、シンキング・ベースボールを独自に発展させていった見識と行動力が素晴らしいです。

 選手一人一人の素質と人間性を叱ったり否定することなしに指導力を発揮し、誰にも真似のできない眼力を養っていきます。

 コーチとして一流だったにもかかわらず、それに飽き足らず、過酷なプロ野球コーチ生活の中、通信教育で教員資格を取得されますが、きっと若者に大きな夢を託し、自らが直接若者の育成に携わりたかったのでしょう。

 人気コミック「あぶさん」に南海時代のコーチとしても登場され、「あぶさん」つながりでご存知の方も多いのではないでしょうか。

 本当に「熱い」生き方をされてこられました。

 野球を志す者は、必ず「甲子園」を夢見るものです。

 同志として、その意志に強く共感いたしました。

 落合氏(現中日監督)の高畠氏評を知ることが出来ず、それがちょっと残念です。
 あの独特の言い回しで表現される高畠氏の評価を知りたいものです。

たくさんの方々に読んでほしい

 ドラマの「フルスイング」も良かったですが、この本はもっといいです。
 この本を読んで心の底から、「一人でも多くの方に読んでほしい」と思いました。

 本当に価値のある一冊だと思います。
 きっと読む方の心を捉え、夢中にさせてくれることでしょう。
 多くの人に読んでいただき、長く語り継いで欲しい本です。

 男涙を汗に変え、真剣に生きていこう!

 そのような感動をもらえます。

 特に印象的な言葉は、次の言葉です。


「覚悟に勝る決断なし」
「氣力」
「もしもの時、取り乱すまいぞ」

 忘れていた情熱を想い出させてくれる勇気を奮い立たせてくれる一冊です。
 自分の中学1年の息子にも読ませようと思いました。

 自分においては、生涯手放すことのない一冊になることでしょう。

フルスイングの人生

 またまた本文から引用させていただきます。

 高畠は「気力」の大切さを30年の指導者人生で説きつづけたコーチである。
 プロ野球の中でも彼ほど「気力」を大切にしたコーチはいない。
 高校や大学、社会人、そしてプロ野球という勝負の世界で高畠自身が、なにくそ、という気力と闘志ですべてに立ち向かってきた。
 誰よりも早く起きてバットを振り、怪我をしてもへこたれず、どんな逆境でも最大限の努力を怠らなかった。
 それを支えたのが、彼の「気力」だったからである。

 高畠の書く気力の「気」という字は、気の中が“メ”ではなく、“米”である。

「気力の“氣”という字は、メじゃなくて米を書くんだぞ」

 高畠は生徒たちにそう言いながら、黒板に何度も大きく「氣力」と書いている。
 これからの人生でさまざまな困難に立ち向かうことになる生徒たちに、気力でそれを克服するよう何度も話している。

 気力がなければ困難を克服することはできないし、紙一重の勝負に勝利することもかなわない。

 生涯、勝負の世界に身を置いた高畠は、精神力、つまり気力の存在をいつも最重視したのだ。

 教員生活2年目の平成16年5月12日。
 突然の告知で余命六ヵ月と知らされた高畠は、この日、筑紫台をあとにしている。
 その午前中、高畠はぎりぎりまでニコマの授業をこなした。

 高畠はこの年、総合学科一年一組の副担任となっていた。
 高畠にとって最後の授業は偶然そのクラスだった。

 同僚の教師がいう。

「高畠先生は最初の授業の時、私たちに、将来の夢を作文に書かせました。
 私は剣道で全国優勝する夢を書きました。
 先生は、その作文を卒業の時に全員に返すから、といって持っていかれました。
 でも、間もなく先生は、癌になりました。
 最後の授業の時、先生は、病院で検査したら立っていられるのが不思議なくらいの症状だった……と話してくれました。
 それでも、黒板に“氣力“と書いて、君たちはこれからの人生でいろいろな困難にぶつかるだろう。
 でもどんなことがあっても気力で乗り越えてくれ、いいか、人生には気力が大事なんだよ、といってくれました。
 それが高畠先生の最後のお話でした。
 私たちは先生に励ましの手紙を書きました……」

 授業が終わればそのまま高畠は学校をあとにすることになっていた。
 高畠は、時間いっぱい授業をおこなった。チャイムが鳴り、教壇を降りて教室を出ていこうとする高畠に、クラスの女子生徒たちが励ましの手紙を握りしめて駆け寄った。

「先生、先生」

 みな泣いていた。
 それを見つめる男子生徒たちの目にも涙が灘んでいた。

「大丈夫やから……。なあ、みんな、大丈夫やから……」

 意外な女子生徒たちの行動に、高畠の表情に戸惑いと慰しさ、そして一抹の寂しさが浮かんだ。
 女子生徒たちの肩を抱きながら、高畠の声は詰まっていた。

「先生、がんばってください……」

「ああ、絶対帰ってくるとも」

 二度と戻ることができないことを知りながら、高畠は生徒たちを逆にそう励ました。
 夢というものを最も大事にした高畠。
 この時、自らの夢をあきらめなければならない無念を彼はどう感じていたのだろうか。

 筑紫台高校の剣道部員たちが試合に臨む時、腕に「氣力」と書き込むようになるのはそれからのことだ。

 剣道部の生徒がいう。
「この“氣力”という言葉は、高畠先生が言い残してくれた大切な言葉です。
 これを私たちは受け継いでいかなければならないと思っています」

氣力の男、伝説の打撃コーチ高畠導宏氏

自分の四十代のテーマも、「フルスイング」で行こう!

 と感じさせずにいられない読後感でした。
 ご冥福をお祈りし、自分も懸命に生きることをお誓いいたします。