磐城高校野球部(母校)OB会がマスターズ甲子園決定!
やりました。
母校磐城高校野球部OB会がマスターズ甲子園出場です。
マスターズ甲子園の決勝が、08.04.20(日)に行われました。
結果は11対3で、見事日大東北OBを下しました。
イニングスコアは以下の通りです。
磐城 11 = 416 000 0
日北 3 = 000 210 0
3イニングまでの若者チームで勝負を決しましたね。
甲子園は1995年広瀬監督が率いて以来ですから13年ぶりになりますか。
とにかく嬉しいですね。
甲子園で校歌を聞いたのは、1975年まで遡りますので、32年ですね。
マスターズ甲子園も勝ったら校歌を歌えるんですかね?
昨年、スクールウォーズの山口先生を目の前にして、
血液が逆流するような感動を覚えましたが、甲子園はそれ以上ですね。
やはり赤井嶽を越えて水石山まで走った練習が今になって活きましたかね。
どうでしょう、35回・36回の敬愛する先輩方・・
感動していたら、熱闘甲子園で流れていたあの名曲
「君よ8月に熱くなれ」を思い出しました。
歌詞を書いておきましょう。
「君よ8月に熱くなれ」
まためぐりくる夏の日に、心ふるわす人がいる
あれが確かに青春と、胸にまぶたにきざみこむ
時よ、とまれよ、ただ一度
奇跡おこした若者に 雲がわきたつ甲子園
君よ8月に熱くなれ
あの日と呼べる幾日を 時の流れに刻めるか
今がそうだと確かめる 熱い想いを抱けるか
風よ 歌えよ もう一度
夢を信じた若者に 砂が舞い立つ甲子園
君よ 八月に熱くなれ
また磐城高校野球部100周年記念誌に磐高野球部のことが良く書かれている、下山田先輩のコラムがありましたので、ご紹介しましょう。
磐城高校野球部の威力
「名門・磐城高校」。
この呼び名は、いわき市内か浜通り、せいぜい福島県内でしか通用しないものだとずっと思っていた。
地方に県立高校はたくさんあるし、進学校だって各県に数校ずつ。
その数と県の数を掛け合わせれば、「名門」と呼ばれる高校は、全国に百や二百はあるはずだ。
だが、その考えは間違いだった。
一般紙のスポーツ担当記者になって4年目のころ、私は松井秀喜選手(現ヤンキース、当時巨人)から高校野球の思い出を聞く機会を得た。
私の母校が磐城だと知った松井選手がふいにこう言ったのだ。
「磐城の野球部出身? 名門ですよね」。
この時は、野球オタクの松井選手だから知っているだけ、と思っていた。
だが、この後、同様のことが何度も起こった。
巨人の長嶋茂雄元監督、原辰徳監督、巨人球団職員で原監督と東海大相模時代に中軸を組んだ津末英明氏。
私にとって幼いころからのヒーローだった方々が、顔を見るたびに「名門・磐城高校」と呼んでくれるようになった。
私の名前はいつまでたっても「小山田くん」と間違えるのに、である。
あるスカウトがこんなことを言っていた。
「東北で強いチームを訪問すると監督さんが磐城の出身だということが多いのです。意識の高い指導者が技術的にも精神面でも質の高いチームを育てている。それが、永く名門と呼ばれる理由でしょう」
確かに、記者の立場からみても、高校時代に先輩方から教わった野球理論は、どこに行っても通用した。
攻守走の基本。人との信頼の築き方。
甲子園の常連監督でも、プロ野球の名物監督でも大リーガーでもすぐに旧知の知り合いのように受け入れてもらえた。
諸先輩方に心から感謝申し上げます。
永い時間と地道な練習を経て中央球界にまで轟く伝統を積み上げてくださり、ありがとうございます。
先輩方から教わったことと、先輩・後輩のつながりは自分にとって一生の宝です。
下山田郁夫先輩コラムから(高35回卒業)
(注)
下山田先輩は立教大卒業後、読売新聞社に入社されました。
盛岡支局、運動部、国際部ロサンゼルス支局駐在など歴任し、プロ野球やメジャーリーグ、五輪などの取材にあたられました。
現在、運動部デスク。
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