桑田真澄お疲れ様 次は野球界の吉田松陰だ!
ついに桑田が引退を決意したのか・・
力は確かに衰えが目立ってはきていたが、桑田のチャレンジ精神がたまらなく好きだった。
自分は桑田・清原と同級生代で、高校まではひたすら野球に没頭していた。至近距離で桑田・清原を見たこともあるし、当然高校の試合を近くで見た。
プロに入ってからの活躍は、残念ながら生で観戦したことはなかったが・・
桑田は我々世代で特別な存在
桑田は自分たちにとって特別な存在だ。桑田は、「投げて・打って・走って」、とにかく妥協をしない野球への取組には本当にあたまが下がる思いだった。
桑田のプレーから、勇気や希望をもらっていた。
「勇気や希望、そして感動をありがとう 桑田」
桑田ロードは永遠に不滅であり、忘れることはないだろう。
あの時のヒジのケガがなければ・・
あの最も働き盛りであろう時の肘の怪我がなければと、自分はいつも考えてしまう。いや、誰しもがそうだろう。
「なぜあの阪神戦で、あんなにガムシャラに飛びついてしまったんだよ・・」
過ぎたことに「たら・れば」は禁物だが、本当に惜しかった。
次は指導者として野球界を牽引して欲しい
しかし桑田の活躍するステージは、まだまだ続くだろう。
桑田真澄の頑張りは自分にとって本当に光であり、自分もまだまだ頑張らなくてはと痛感できる貴重さがある。
折しも、昨晩久々に「吉田松陰先生」の本を読み、指導者とは? を考えさせられた。
桑田には、ぜひとも「平成の野球界・吉田松陰先生」となってもらい、後進の指導に力を発揮してもらいたい。
清原も身体にむち打って頑張っているよだ。我々昭和42年世代にとって彼らは特別な存在なので、とことん頑張って欲しい!
自分の母校の磐城高校が、「マスターズ甲子園」をエントリーしたようなので、そちらで一花咲かせたい!
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IZA –
(https://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/mlb/133097/)
輝き続けた桑田、引退 一つの時代が終わる
昨年12月3日。手術を受けた右足首の検査でロス入りした桑田は
「先が見えた。天気以上に晴れやか」と青空を見上げた。
野球を続けられる。
メジャーのマウンドにもう一度…熱い気持ちが伝わってきた。
1983年夏にPL学園高で1年生ながら甲子園大会で優勝。
清原(オリックス)との“KKコンビ”で春夏5度の出場を果たし、86年に巨人に入団してからも輝き続けた。
95年に右ひじ靱帯(じんたい)断裂の重傷を負った。
手術を受け、1年のリハビリを乗り越えて復活。
球場の外野フェンス際を黙々と芝がはげるまで走り込んだエピソードは有名だ。
2006年のシーズン後、パイレーツとマイナー契約。
オープン戦で審判員と激突、右足首を負傷したが、6月10日にヤンキースタジアムでメジャーのマウンドに立った。
何度もアクシデントを乗り越えた。
気持ちは常に前を向いてきた。
その男が「燃え尽きた」。
小柄な高校生が甲子園の舞台で日本中を沸かせてから25年。
一つの時代が終わる。
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(https://www.excite.co.jp/News/sports/20080327003700/20080327M50.170.html)
<桑田真澄>TV番組で現役引退を表明
メジャー出番なく
米大リーグのパイレーツとマイナー契約を結んでいた桑田真澄投手(39)は26日夜、TBS系列で放送された報道番組「筑紫哲也NEWS23」のインタビューの中で現役引退を表明した。
26日(現地時間)に米フロリダ州ブラデントンであるオープン戦終了後に正式発表するとみられる。
桑田はメジャー挑戦2年目の今季、招待選手としてパイレーツのキャンプに参加。
オープン戦では主に中継ぎとして5試合に登板し、1勝0敗、防御率1.80と結果を残していた。
しかし、桑田はインタビューの中で、ハンティントン・ゼネラルマネジャー(GM)から
「若い選手にチャンスを与えたい。(桑田は)メジャーで投げるチャンスはない」
などと通告されたことを明かし、引退を決意したという。
桑田は「残念な気持ちはあるが、現役選手として燃え尽きることはできた」と語った。
今後は指導者を目指す考えを示し、「野球界の後輩たちを一人でも多く育てていければいい」と話した。
桑田はメジャー初挑戦となった昨年6月、大リーグ昇格を果たしたが、8月には戦力外通告を受けた。
メジャーでは19試合に登板して0勝1敗。
日本のプロ野球では、大阪・PL学園高卒業後の86年から06年まで巨人に21年間在籍し、通算173勝141敗14セーブ。
日本一となった94年にリーグ最優秀選手(MVP)に選ばれた。
▽PL学園高時代に監督を務めた中村順司・名古屋商大監督
米国まで行って、よく頑張った。
今年1月に会った時は(新しいシーズンに向けて)意欲に燃えていたので激励した。
彼が高校入学してから3年間、素晴らしい思い出を残してくれた。
何事も率先してやって、野球の申し子のようだった。
甲子園で20勝を挙げるなど、球史に残る実績を残したと思う。
これからは野球界のために経験を生かし、指導者にもなってほしい。
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IZA –
(https://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/133030)
桑田が現役引退を表明 TV番組で「燃え尽きた」
米大リーグ、パイレーツとマイナー契約し、メジャー昇格を目指して招待選手でキャンプに参加していた桑田真澄投手(39)が26日、TBSテレビの「筑紫哲也NEWS23」の番組内で「燃え尽きた。何一つ悔いはない」などと語り、現役引退を表明した。
桑田投手によると、パイレーツのハンティントン・ゼネラルマネジャーから「メジャーではチャンスはない。投げる機会はない」と通告されたという。
昨年と同様にマイナーからの昇格を目指すという選択肢については「ことしはそういう気持ちはなく、メジャー一本しか考えていなかった」と話した。
ことしのオープン戦成績は5試合に登板、5回5安打1失点。
桑田投手は大阪・PL学園高で清原和博(オリックス)とともに甲子園を沸かせた。
1985年、ドラフト1位で巨人に入団し、442試合で173勝141敗14セーブ、防御率3・55の成績を残した。
巨人退団後に大リーグ挑戦を表明して2007年にマイナー契約でパイレーツに入団。
3月26日のオープン戦で右足首の靱帯(じんたい)を損傷するアクシデントを乗り越えて大リーグ昇格を果たし、19試合に登板し0勝1敗、防御率9・43の成績だった。
桑田は26日、米フロリダ州ブラデントンで行われるタイガースとのオープン戦前、現役引退について問われ「いまの段階では何も言えない。タイガース戦終了後に球団を通じて(記者会見する)ということになっていますので」と話した。
桑田は25日のツインズ戦に登板予定だったが、試合途中で宿舎に戻っていた。
この行動についてアンドルーズ投手コーチは「おまえたち(日本の報道陣)はクワタと話したのか」と話しており、試合開始前後にハンティントンGMから何らかの通告をされたようだ。
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