言論統制、言論封殺を考える
2007年05月16日
今の日本に生まれて本当に幸せだと痛感する。
このように述べる大きな理由の一つに、個人が尊重され、思想及び良心の自由も保障され、表現の自由なども憲法でもって確実に保障されているからだ。
昔は言論が統制され、教育までも国家に操縦されてしまったとすれば、マインドを当然コントロールされてしまうことになり、個人の自由や尊重などは全く無かったのかなぁと、恐ろしさを覚えてしまう。
どんな世の中だったのだろう・・・
なぜこんなことを述べているかというと、昨日ちょっとしたことがあったからだ。
それは、自分が個人的な見解を掲載しているこのブログの内容がどうなのかなぁという声だ。
それを嫌々ながら、勇気を持って伝えてくれたKさんありがとう。いつも迷惑をかけますね。
本当に自分も心苦しくもあり、申し訳ない気分だけど、どうにもこの性格は直せないね。
論じていく前に、エネルギーとは何かを整理してみよう。
そもそも「エネルギー」とは何なのだろうか?
まず「仕事」という概念を 定義することから始めよう。
仕事の定義
物体に力が加わっており、その物体が加えられた力の方向に移動した場合、その力と移動距離をかけあわせた量を「仕事」と呼ぶ。
面白い考えだなぁと思う。
いくら物体に力を加えても物体が動かなければ仕事をしたことにはならないというのだ。
この「仕事」という概念は効率を重んじる思想からできたのだろうか?
ともかく、ここまで来るとエネルギーが見えてくる。
エネルギーというのは、物体が仕事をする能力のことである。
そして正解かどうか分からないが、分子と分子のぶつかり合いがエネルギーの源だというような話を聞いたことがあり、さもありなんという感じだ。
これは人の世も一緒で、様々な考えが交錯し、ぶつかっていかないとエネルギーにならないのだろうと自分は勝手に考えている。
だから、正々堂々の議論が大事なんだろうと痛感する。
それに対して、事実を隠したり、自分が都合良いような色にしてしまうのは、これは大いに間違いだろう!
しかしそんなことが往々にしてあるのが、この世なんだろうなとも思う。
村社会を守るには、そんな視点もあるのかとも思うが、自分は同調できないなぁ。
同級生の友人である影山雅永君は現在マカオのサッカー代表監督をしている。
言葉も文化も、何もかも知らない世界で指導していくということは、どういう感じなのか想像を巡らしてみると、やはり裸の人間としてぶつかっていくしか無いんだろうと思う。
自分が神戸で生保会社支部長をさせていただいた時、全く知らぬ土地で真剣勝負するには、裸で誠実にぶつかっていくしかないと、心の奥底から痛感したこともあり、そんなふうに考える。
本心を隠し形だけ装う世界というのは、その場は凌げても、きっと長い目で見ると通用しないだろう。
昨晩はそんなことを考えながら、表題にある「言論統制や言論封殺」について考えてしまった。
表題とはずれた感じだけど、思想や表現の自由が保障されている日本国憲法は本当に素晴らしいと思う。
こんなに自由に思想を抱き、表現までも自由にできる国のほうが遥かに少ないんだろうから・・
我々国民はもっと憲法を学ばなくちゃいけないんじゃ無いかな。
参考までに、またまた「自由や個人の尊重」が謳われる主な憲法条文を以下に掲載しておこう。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
〔思想及び良心の自由〕
第19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
〔信教の自由〕
第20条信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第21条集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕
第22条何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
〔学問の自由〕
第23条学問の自由は、これを保障する。
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